猫の目ギラギラリン

アニメソング(アニソン)、アニカラが大好物で漫画・アニメも好物という死んでも治らないと思われるヲタ属性。他に社会で起こってることや民俗っぽいことや懐かしいことや動物・自然などにも興味を持つには持っているビミョーな匙加減なり。

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愛媛3泊4日の旅(10/20〜23)

 書くと言いつつ時の進むのは早くて・・・すみません、書く気が起こりませんでした。(^^; 旅と書きつつ「法事だから旅でもないよなぁー」と思ってみたり。色んなことをちょっとずつ書いていきましょう。


・駅弁
http://www.news-package.com/t/ekiben/0503/
↑ここに食べたお弁当の写真が載ってます。

 と言っても親戚の家でお呼ばれしたり仕出し弁当と食べる機会が多かったので実際に食べたのは行きが1回と帰り1回の2回でした。行きは新幹線のコース内で買ったので高くてそれほど特徴のないお弁当(私がまつたけ弁当で母があなご弁当だった・笑)でした。

 帰りはJR松山駅のホームでおばちゃん一人がせっせと弁当の販売から会計まで行っているお弁当屋(お店と言うより露店と言った方が近いか)で2人分買いました。直前にたくさん買われた方が領収書を希望しているものだからかなり慌てていましたね(笑)。「坊ちゃん辧当」「アンパンマン弁当」を食べたかったのですがすでに売り切れでした。時はお昼近くですから人気弁当は先に売れてしまいます。で、私が残ってる中から買ったのは「汽車辧当」と「醤油めし」でした。お値段は630円と730円のもので駅弁としてはかなりリーズナブル。鈴木という名のお弁当屋さんです。

 私は「汽車辧当」を食べましたが幕の内弁当っぽかったです。若干ご飯が硬くなりつつあったのが減点でしたがおかずは美味しかったです。母は「醤油めし」を食べてましたが美味しい美味しいと言ってました。トマトにも醤油をかけて食べる人なので醤油味が合ってるのかも(笑)。

 弁当の包みだけ捨てずに持ち帰りました。「汽車辧当」の鶯色の包みにはこの弁当の由来などが書かれています。この弁当は昭和15年の復刻版、SLが走っていた当時の包み紙だそうです。値段は当時40銭で今は630円、世相を映すように「國民精神總動員」なんて言葉が踊っています。もう一つの「醤油めし」の紺色の包みには愛媛の方言が書かれています。東の横綱が「うすれる」(むしあつい)、以下大関「らっしもない」(とてつもない)、関脇「ぽっぽ」(ふところ)、小結「びんだれ」(だらしがない)・・・前頭は省略。西の横綱は「よもだ」(おとぼけ)、以下大関「いでらしい」(もちがよい)、関脇「やねこい」(こうるさい)、小結「つばえる」(ふざけさわぐ)・・・前頭は省略します。母ももちろん愛媛出身なのですが、この中で使っているのを聞いた事があるのは「よもだ」だけですね。父が酒に酔って愚痴った時に「よもだ」を言うって使ってましたのでちょっと意味合いは違うようです。


・列車
 母を連れての旅ゆえ空を行かずに地を行きました。(^^; 片道8時間以上(帰りは乗り継ぎ気にせず帰ったのでもっとかかった)とかなり時間がかかりました。同じ日本でも住むところが離れていればザッとこんなものですよ。(^^; でも、私がこどもの頃は半日(12時間)コースでしたのでそれを考えれば楽になりました。昔は四国には船(宇高連絡線)で渡っていたのですよ。(^^)

 利用したのは東北新幹線東海道新幹線予讃線内子線です(細かいのはわからんのでゴメンして・笑)。単純に時間の割り振りを言うと、片道で東北新幹線1時間ちょい、東海道新幹線3時間、予讃線3時間、内子線1時間・・・って書くと大体の場所がわかっちゃうかな?(笑) 先日も書きましたが予讃線ではL特急にキャラクターの絵をあしらった「アンパンマン列車」が走っていました。

 東北新幹線東海道新幹線ではなかなかゆっくりと景色を見ることができないのですが(見ても田圃ととかゴミゴミした都市だったり)、予讃線内子線はゆっくりじっくり見られましたよ。特に予讃線L特急で3時間かかりますから(笑)。予讃線は海沿いを通る事が多く、瀬戸大橋を渡るなど眼下がすぐ海ってところもあり、海の景色が好きな人にとってはオススメ。瀬戸内の海は柔らかく優しく感じました。内子線は山とミカンの段々畑が良く見えました。瀬戸内の田舎の景色を見るには良いかもしれません。(^^)

 今回は乗る機会がなくて残念でしたが、自分達の乗っている親戚の車やタクシーと松山市内を走る「チンチン電車」(伊予鉄道)と併走しました。日本ではもう絶滅危惧種ですな、この電車。恐らくは自動車教習所の教本でしか目にしないであろうこの電車用の信号機があるんですよね。私などはとても気になって普通の信号よりそっちの信号ばかり見ていました。(^^;


・お墓参り
 法事ともう一つ重大な使命が私に科せられていました。母の父母の墓参りです。親戚の一部からは高台にあるので登れないよと脅かされたのですか、母親の強い希望によって親戚の別の人達が連れて行ってくれました。

 お寺の敷地内に墓地があって山の段々にお墓が建てられており、私の住んでいる地域ではあまりお目にかからないタイプです。登って行く途中に水場があってそこで水を汲みました。桶と柄杓は鉄製でした。ウチではプラスチック製のものを使用しています。確かに高いところにお墓がありましたが、70を超えて足腰の弱っている母が登れないほどではありませんでした。必要以上に脅かしてぇ〜、親戚め。(^^; 

 へぇ〜、栃木と違うところがありましたよ。花を活ける筒にシキビ(樒・シキミ)を供えました。ちなみに榊の事を母は「シャカキ」と言います。お線香は立てて、コップにお水を入れます。この辺りも違うのですが、一番違ったのは他の霊も拝むために先祖の墓の横にミニチュア墓「三累・・」(二文字失念)が建てられていることです。同じ日本ですが、地域性や宗教宗派によってお墓一つとっても色々と違うんですね。晴れ渡った秋空の下で母の願いのお墓参りが叶った事は私にとっても嬉しかったです。(^^)


・葬儀
 お通夜から出席することができました。本当は生きている間に逢えれば良かったのですがそれは叶いませんでした。久しぶりに顔を合わす親戚、亡父の葬儀以来一年ぶりの方も3人ほどいます。夜は故人の前でご住職の読経。その後は故人のいる隣部屋でお寿司やお菓子を食べてお通夜終了。「よー来たなぁー(来なはったなぁー)」って親戚に驚かれていましたよ、いやはや。(^^;

 告別式でもお通夜と同じ臨済宗のご住職に読経していただいたのですが、ウチが檀家となっている浄土真宗と違って偉く鳴り物(鳴り物言うな・笑)が賑やかでした。木魚を叩きながら鐘を鳴らし、時々シンバルみたいなものも鳴らすんですよね。実に不謹慎とは思うのですが、どうにもあのリズムに体が乗ってしまいとても心地よかったです。軽いロックみたいな感じ。(^^; 私はお経も音楽の一つだと思うんだよね。お経とラップって何か似てないですか?(^^; 

 親戚は女性が多く男手が少なかったので棺桶に入れる時と出棺時に霊柩車に棺桶を入れる時と二度故人を持ちました。女性は死に装束を着せていましたね。私の父の時には男女関係なく私が足袋を一つ履かせてましたが。もちろん棺桶の釘打ちとかもやりましたよ。

 ウチの地域では何本も葬儀場所のセレモニーホールや自宅に花輪が上がるのですが、そういった物はありませんでしたね。私は自宅近くのお店で香典袋を買って持っていったのですが、やはりその袋も違いました。このサイト(http://www.dcity-ehime.com/bridal/kankon/s_otutumi.html)に写真が載っているのですが、愛媛では表書きが「御香典」「御香奠」なんですね。そして水引は黒と白の結びきり。栃木だと印刷された水引(それは水引って言わないと思うけどね)に表書きが「御霊前」が多いです。私は遠方でも親戚であることに違いないのでちょっとお高い、印刷でない銀の水引がきちんと付いたものを持っていったわけですが、集められた袋の中で一際目立つこと(笑)。「お前、ちょー目立ってるじゃん」ってな感じでかなり恥ずかしかったです。(^^;

 火葬場はかなりドライな感じでした。荼毘に付す前に故人のお顔を拝見できないのですね。そのまま焼かれてしまいました。その間大部屋で昼食、「で、でかっ!」、こんな大きいサイズの仕出し弁当見た事ありません。海苔巻きにおかずがいっぱ〜い。やはり海あり県だけあって海産物のおかずが多いです。酢味噌の袋付きは愛媛ならでは。私自身結構ドカ食いするタチなのですが、さすがにコレだけの量はやっとでした。遠方から来てるのは私達ぐらいなもので、そのためかどうしても私のところにビールが集まってきます。私、ビールって言うかアルコール自体あまり飲めないのよ〜。(^^; で、焼きあがったら放送で呼ばれて皆で骨上げなのですが、2人で箸で挟まないで各々が骨壷に骨を入れてました。係の人がウンショと骨壷に骨を押し込みます。私など何だか大きくて太い骨を一人で骨壷まで持って行きましたが、途中落としそうになってヒヤリとしました。(^^;

 火葬が終わってセレモニーホールに戻ってきてからも他の法事が続いて執り行われその日1日が終わりました。前日泊まったホテルにもう一泊、疲れが出たのか生まれて初めて自分の血尿を見ました(実話・笑)。


 親戚、食べ物、見学した場所・物などについてはまた後日ということで。(^^; アザラシについても書きたかったんだけど時間切れ(謎)。